北朝鮮と「HINOMARU」批判にみる、自由を縛るモノ

6月12日、米朝首脳会談の行方を気にしてみていました。

首脳同士の話し合いなど形骸的なもので、実際に両国の実務を担っている人たちの交渉はすでに終わったということ。どういう結果になるのかが気になっていました。

もしかしたらどちらも感情的になって、せっかくの水面下での合意を無視して話し合いの席を立ってしまうのではとハラハラしましたが、第一回の会談は無事済んだようですね。結局具体的な取り決めにはならなかったのが残念ですが。

国力が弱い北朝鮮にとって、核が重要な切り札になっているのはわかります。これで各国と対等に話し合えると思っているんでしょうし、事実国力に雲泥の差があるアメリカとの会談が世界的に注目される事態になっています。

政治的なかけ引きが先行して、国民不在のまま進行している北朝鮮が不憫です。国民は自分たちの国が暮らしにくいと思っていても移住できないし、おかしいと思ったことも発言できない。もう想像しただけで息が詰まるような環境です…

パフォーマンス感の強い印象の今回の会談でしたが、北朝鮮の民主化や国民の健全な暮らしへ近づく一歩にはなれているといいですね。

日本でもいまだに「国」という概念に過剰反応する人たちがいるようで、RADWIMPSの「HINOMARU」が軍国主義的だと議論されているようです。

ちょっと前にも、前・うたのおにいさん横山だいすけさんが「あたしおかあさんだから」という、お母さんだから色々なことをガマンしているという内容の歌をうたって議論になっていましたね。

日本は一応言論の自由があることになっているはずなのですが。個人的な好き嫌いではなく、他人の表現そのものを制限しようとするという発想は、どうにも好きになれません。

嫌なら聞かなければいいし、見なければいい。自分の考えと違う見方を持った人をすぐ批判してしまうのはどうしてなのでしょう?

世間に偏向的な考えを流したから?いえいえ、どちらの歌詞も「こうあるべき」だなんて言ってません。こういう考えもあるということ。洗脳的なメディアなんか他にもたくさんあふれていますし、そちらの方がよほど影響力はあるでしょう。この程度でいちいち目くじらたてる意味がよくわかりません。

変わった意見や表現が大好きなバーサとしては、制限されて整えられた当たり障りない表現ばかりを強要されるようになったとしたら…息苦しくて生きにくいです。かつて思想や言論を規制していた過去の日本に生きていたらと思うとぞっとします。

同じように子供たちにも、自由に色々なことを考えたり話したりしてほしい。「間違っている」から押さえつけられるような未来は用意したくありません。

バーサは自分の目に映る人たちの健康と幸せを日々考えています。

ですが例えば今、他国からミサイルが降ってきたら?政府の方針で言語や思想が制限されたら?貿易が封鎖されて、食糧難になってしまったら?国というものがもつ力の前に、個人はときに無力です。

国民一人ひとりはそう思っていないはずなのに、国という意識の集合体になってしまえば理不尽も非人道も行われてしまう。とても不思議なことです。

「政治だとかよくわからない、どうせ変わらないのだから偉い人が勝手にやってればいい」という姿勢は、国の力に身をゆだねるということ。間接的には、国の力の暴走を助ける可能性があります。

自由を縛るリスクは外的なものだけでなく、個人の思考停止の中にも存在します。

自分たちの健康と生活を守る具体的な見方。それと同時に世界の国々の関係性と緊張状態、国際問題、それらをどう処理すべきか考える抽象度の高い思考も、同じくらい大切なのだと思い起こされました。

ちっぽけでも、集合意識に参加しているという意識を得たくて、バーサは投票を欠かしません。

皆さんも面倒がらずに「誰が一番自分たちの生活をよくしてくれる考えを持っているか」を考えて、投票には必ず行きましょう!ちゃんと考えることができれば、理想的とはいえなくとも自分にとって一番意見があう候補者というものはいるものです。

北朝鮮のような道を歩まないためにも。個人が唯一政治に関われる手段である投票権すら放棄してしまったら、今以上に個人の力及ばない各種リスクにさらされつづけることになるでしょう。

下がり続ける投票率を見ながらバーサは危惧しています。

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