いつかはアドラーのように

言うまでもないことですが、人の心の中は複雑です。

嬉しさや喜びの中にも不安や恐れがひそんでいたり、怒りくるう心の底には深い悲しみが沈んでいたり。自分でも自分が思っていることの一端しかわかっていないものですよね。

だからこそ表面に現れている感情だけにとらわれすぎてはいけないと日々気を付けているつもりなのですが、やはり人間なので、相手の感情につられてつい怒ったり悲しくなったりしてばかり。

そんなバーサですが今日は、表層的な感情に惑わされずに伝えるべきことを伝えるべきタイミングでピタッと言えた!と思えたことがありました。


夕食の準備中。休日だし、時間に余裕もあったので子供たちに手伝いをお願いしていました。

下の子は3歳。ちょうどお手伝いが楽しいお年頃なので何でもやりたがります。かんたんな野菜を切ったり混ぜたり、皿や食器を並べたりと、よく働いてくれます。

上の子は8歳反抗期^^;幾度か声かけしても、「え~やだよ~」とテレビを見てだらだら。食事の席にも中々つかず、父親に言われてしぶしぶやってくる有様です。

今はこんな態度ですが上の子も幼稚園くらいまでは素直な良い子としてふるまっていましたのでたくさんお手伝いしてくれましたし、器用でいろいろなことができた分いろんな人に褒められることが日常化しているほどでした。

良い子のまま大人になってしまわずに「悪い子」のふるまいができるようになることも成長の証。長い人生反抗的な時期もあっていいと思っています。

そうはいっても反抗されるというのは親としては不快なものですから、いちいちイラっとしてしまって売り言葉に買い言葉、みたいになってしまいがち。今日も「妹はお手伝いしてくれたのに、お姉ちゃんは…」云々と自分が思っているように感じていて、口に出したくなりました。

ですがそんなとき、頭の片隅に幼い頃にお手伝いしてくれたお姉ちゃんの笑顔がよぎり、イライラしているのに嬉しいような満たされたような複雑な感情が交じり合いました。

くるりと頭の中で何かがめぐり、ふいに私の口をついて出た言葉は

「今はできない時みたいだけど、昔お姉ちゃんはたくさんお手伝いしてくれたよね。覚えているよ。ありがとう。うれしいから、今は無理しなくても大丈夫だよ。またいつか一緒にやろうね」でした。

意図していなかったのに驚くほどするっと自然にでてきた言葉は、それまでツンツンしていたお姉ちゃんに以前と同じ素直な笑顔をもたらしてくれました。

ああ、言えてよかった。

相手のいいところも悪いところも、思い通りにいかない時も、受け入れて認めてあげられるお母さんに、私はなってみたかった。

受容と信頼の心で貢献するというアドラーの教えに、今日は一歩近づけたかな?と思える嬉しい出来事でした。

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