学校教育の質を考えるーもっと生徒目線で!ー

先日娘がかんたんな算数の宿題にてこずったという記事を書きましたが、その後気になる話を耳にしました。

その日の宿題は、他の同級生たちもよくわからずに苦労していたそうなんです。中には全くわからなくて提出さえしなかった子もいたとか。

そんなに難しい問題でないことは確認済みです。ひっ算が少々面倒なくらいで、やり方さえわかっていれば時間をかけるだけで解ける程度だと思います。事実娘は教えて以降自分で普通に解けるようになってましたし。

これはひょっとしたら、先生の教え方にも問題があるのかもしれない?と疑念をもちました。

先生目線の「正しい授業」

長女のクラス担任は新卒の教師です。一緒におにごっこをして遊んでくれたり、子供たちには比較的評判が良いようです。その一方で、授業の進め方にはまだまだ改善の余地が大有りな印象を、授業参観の時に感じてしまいました。

理解しきれていない子供もいる反面、ちゃんとついていけている子供もいます。決して先生がダメダメなわけではないと、重々承知しています。

おそらくこの先生の問題点は、「正しく教える」ということにこだわりすぎる(というか余裕がなくてそれしか考えられない)ためではないかと考えます。

教育とは、教える側だけでなく教わって育つ側がいて成立する関係を指します。一人で学ぶ場合、教育という言葉は使いませんから。

ついこの間まで学生として責任もなくのんびり暮らしていた人が、いきなりたくさんの子供たちの将来を担う大役にかり出されているのです。何もかもが初めて、毎日が勉強と反省のくり返しでしょう。それでも時間は待ってはくれません。

余裕がなく視野が狭くなった人はたいてい自分のことしか考えられなくなります。最も優先順位が高いのは、自分の立場を守り責任を全うすることになってしまいます。

先生の責任とは、「正しい知識を生徒に教える」ことに他なりません。さらに「生徒に好かれること」「問題を起こさない、問題を早期解決する」と続いていきます。

自分ではなく生徒が主語である「生徒が授業内容を理解して学び育つ」ことに関しては、意図していなかろうと往々にして優先順位が低くなりがちです。

バーサはそれを非難するわけではありません。このことを見てますます、「日本の学校教育はもっと変わらなければいけない」という思いを強くするだけです。

非効率な学校教育の不思議

具体的にどういうことかというと、個々の理解度や習熟度に応じて授業内容や進捗を選べるようにしてほしいということ。わかる子には早くどんどん難しい内容を教え、わからない子にはゆっくりじっくり基本的な内容のみを理解するまで教える、という具合です。

授業を聞くだけなら、学校に通学する必要もありません。優秀な先生の講義をサテライトで各地に配信し受講する大手予備校のシステムは、なぜ公立中高や大学でもっと採用しないのでしょう?

早く理解できれば、学ぶ時間が短く済みますから、学費も少なく済みます。能力の低い先生を雇用する必要がなくなるのでコストが抑えられ、そもそもの学費自体もっと安くすることも可能なはずです。

かつて私たちの世代は、つまらない授業に貴重な子供時代、青春時代の時間を無駄遣いさせられてきました。義務教育で9年、高校大学合わせれば10年では済みません。本当にそこで習った情報や処理する技術は、それだけの時間をかけるメリットがあったかと問われれば、ほとんどの人が否!ですよね。

学力格差がどうのと言われてしまいますが、現行の制度でだってとっくに格差はできています。むしろ、能力があるのに公立の学校で早期に質の高い教育を受けることができない子供こそが最大の被害者といえるのではないでしょうか。

次に授業を理解できていないまま取り残されていく子供もかわいそうです。興味をかきたてて集中させる技術をもって、理解度に合わせた授業をしてあげれば、そういったのんびりさんたちだって相応な知識を身につけることができるのに。そのまま対策せずにいれば基礎もわからないまま、落ちこぼれの烙印を押されてしまいかねません。

現在の授業のやり方では、クラス30人中で上の10人がひまを持て余し、真ん中の10人がしっかり授業を楽しみ、下の10人がついていけてない、と何かの本で分析されていました。さらに娘のクラスでは先生が生徒の理解度を考慮せずに進行しているようなので、その割合は上10人が自力で理解、下20人は「?」状態になっているのだと推察します。

新人先生が授業をうまくやれないのはある程度仕方のないことです。ですが、これが一般企業ならば?「新人だから企画がつまらないのは仕方ないですよねエヘヘ」なんてことが許されるわけないんですけど。

薬剤師だって「新人だから間違わないように薬の説明書どおりに説明しました!でもその患者さんがどんな病気かは知りません」なんてことは許されません。どんな分野であれ、ちゃんと教育担当の者がついて、顧客に合わせて迷惑がかからないように配慮するのが当然でしょう。

なのになぜ、公立の学校では新人先生をそのまま放置しているんでしょう???子供に話を聞く限り、指導の先生が一緒に授業に入ったことはないようですし。

指導者も、育てられて育つ

おそらく来月の個人懇談では、矢のような質問が彼に降りかかるでしょう…

彼に落ち度があったというわけではないのでちょっと気の毒だけど、このままの状態が子供たちにとっても先生自身にとっても、好ましいものでないことは確かです。問題に触れないようになあなあにしても、問題解決が遅くなるだけですし、厳しい意見でもしっかり聞けば、改善点が見つかって自分自身の成長につながります。

世間体を気にする保護者たちよりも、こういうとき子供たちの方がストレートに「わかんない」「つまらない」と言えそう^^けっきょく親も先生も、子供たちを育てるといいつつ育てられたりもしているんですよね。

私も子供たちからの鋭い指摘にハッとさせられ、自分を省みることができたことは多いです。人はお互いに呼応し合い、共鳴しあって生きているんです。自分が成長すれば、相手だって成長できる。

早く問題に気づいて、少しずつでも、子供たちの興味をひきつけるような創意工夫をこらした良質の授業ができる先生に育っていけたらいいですね。

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