8歳の娘は、ゲームが大好き。
うちにはゲーム機を置いていません。学生時代は夫も私もゲームをやっていたことがありますが、娘が生まれてからは日常的にゲームを目にすることはなかったはず。
それなのに気づいたときには…祖父母のうちで私たちがかつてやっていたファミコンやPSなどでゲームしたり、ゲームセンターでもお友達のうちでも、とにかくチャンスがあればゲームしたがる子になってしまっていたのです。
まあ、そのおかげで祖父母のうちにも行きたがってくれるし、祖父とゲームを通じて交流しているならそれもいいかなと思っていました。
しかし、ちょっと思うところがあって、今日ついに我が家にテレビゲームを導入することにしたのです。
「ドラゴンクエストⅤ」スーパーファミコン初期版のものです。王道!
今までのように祖父母宅ではなく、うちでやってもらいたかった理由はいくつかありますが、第一に、干渉されない環境で一人で考えながらプレイしてほしかったということがあげられます。
誰しも経験があるかと思いますが、他人がプレイしているゲームには「こうしたら、ああしたら」と、とかく口出ししてしまいがちです。まして小学生の未熟なプレーヤーに対してなら、「教える」という名目で自分のやり方を押し付けてしまいかねません。
娘は祖父とゲームしていると、「ここに行って、次はこうして…」など、ほとんど祖父のいう通りに動かしているだけになってしまいます。普通ゲームプレイ中は横から口出しされるといやな気分になる人が多いと思うのですが、娘はむしろ「次はどうしたらいいの?」などど聞かないと進まない。これには危機感を持ちました。
最近の娘は、普段から自分で考えるのをめんどうがるそぶりがあるのです。
例えば、探し物が見つからないとすぐに「どこにあるの?」と聞き、あるはずの場所を伝えても「ないよ~探して~」といって自分で見つけようとしません。本人のすぐそば、こちらから見えているような場所にあるときでさえ、です。
ここでちょっと自分で考えてみれば、そもそもいつもどこにおいてあるものなのか、いつもの場所にないとしたら、どこに移動している可能性があるか、などのパターンを想像して動いてみることができるはず。
それをやらない理由はなんだろう?と考えていてふと、もしかしてやらないのではなくできないのではないかという可能性に気づいたのです。
自分で問題に気づいて、自分で考え、自分で行動に移す。これすなわち、自主性というものではないですか。娘には自主性が十分に育っていなかったようです。
基本的にRPGは自分で考え、選ぶ要素の大きいゲームです。ストーリーに沿ってではあるけれど進行方法やタイミングは選ぶことができるし、装備、職業、戦闘における呪文の使用や戦略など、きちんと考える能力を必要とます。
ドラクエⅤではさらに、自主的な選択をせまる場面が出てきます。主人公の花嫁はだれにするのか?これは正解のない選択で、プレーヤーの好みに任されています。単純なことのようですが、「ストーリーを自分で選ぶ」のは今までのドラクエ作品にない試みでしたね。
ドラクエ作品の主人公イコール勇者であるという常識を覆し、主人公が勇者ではない点も興味深いところです。華々しい栄光だけでなく不運や不遇も経験します。「そこまで特別ではなかった自分」に向き合うゲームというのは、なかなか珍しいのではないでしょうか。
娘には、「勇者である特別な人間」ではなく、「等身大の主人公」として喜びも挫折も経験しながら成長する、そんなお話をプレイしてみてほしかった。
幼少時代から始まり、父の死、不遇な青年期を越え、結婚し家族を持ち、自分の居場所を作り上げていく人生の物語。はたして娘はどう感じ、考え、生かしてくれるのか。私も楽しみにしながら見守っていきたいです。