しゃべりはじめた子供たちに学ぶ、言葉の威力とむずかしさ

大型連休も、今日でおしまいですね…皆様はどんな休日を過ごされましたか?

私は実家に帰省していました。姉の一家も盆暮れ正月とGWには帰ってくる習慣なので、いつもは静かな家の中にもにぎやかな声が響きます。

今年も正月に会っているものの、過去記事にも書いた通り、家族がインフルエンザとノロ胃腸炎でてんやわんやでしたから^^;今回はゆっくり滞在できて、たくさん遊んだり話したりできて良かったです。

子供たちはいとこと遊べて大喜び♪甥っ子は4歳、姪っ子は2歳になり、うちの娘たち(8歳・3歳)とも対等に遊べるようになってきて、遊びの幅が広がっていました。

中でも急激な関係性の変化があったのは、下の娘と姪っ子ちゃん。二人は同じ年の1月生まれと10月生まれ。学年違いの同い年いとこです。

幼稚園に入園して同年代の子供と遊ぶ喜びを知った娘は、年下の姪っ子ちゃんにいろいろ教えたりお世話してあげたくてうずうずしている様子。「こうやってやるんだよ」「いっしょにやろう!」と、おねえさん風をびゅんびゅん吹かせて得意顔^^;姪っ子ちゃんも「うん、こう?」「(自分で)やるの!」とちゃんと自分の思ったことを言ってコミュニケーションとれてる!

今年のお正月は、お互いほぼ無関心~といった状態でした。姪っ子ちゃんは当時しゃべらなかったので、娘もどう接していいのかわからなかったのかもしれません。

ところが4か月たって会ってみたら、姪っ子ちゃんがぺらぺらしゃべっていてびっくり!まだ発音が不完全で聞き取りにくい宇宙語状態ですが、意思を言葉で示すようになったのは大きな変化です。

言葉を使うようになって初めて、姪っ子が何を考え、感じていたのかを知ることができるようになりました。当たり前のようだけど、これってすごいことですよね。

言葉が降り積もって、その人の人格を浮き上がらせていくような感じ。言葉がその人の思いを伝えるのはもちろん、思想を定義づける働きもあるように感じます。

好き、嫌い、やりたい、いやだ、やって、やめて…などのイエスノーの表明は、非言語でもわりと伝わるものです。

でも、これ知ってる、こう思う、これはわからない、どういう意味だろう?いっしょに何かをしよう、など、自分の思考を表明することや、相手との関わりの中で意味をなす表現は、言語の得意とするところ。

ただ、言葉はそれ自体が意味を持っていて、自分の思いや考えとその意味が合致しているときに使って初めて、相手に自分の内に秘めていたものを表現できたといえます。

自分の思っていることをきちんと自覚できていないとき、言葉の意味を正しく理解できていないとき、言葉と思いは乖離していきます。もちろん相手も自分を正確に理解しがたくなります。

また、人の感情は一つではなくとても多角的です。怒りの中に悲しみや喜びすら入り混じっているのが普通です。ですが、言葉はその一面しか表現できません。

うちの下の娘も、よく夫に「うそつくんじゃない!」などと言われていますが、それは嘘ではないんです。多分言葉の意味を正確にわかっていなくて、ふさわしくない使い方をしてしまっただけ。だから、そう非難された娘はしょんぼりしてとても悲しそうです。

大人だって言葉を正確に使いこなしているとは言い切れませんよね。ましてや子供の使う言葉や言い回しは、意味をよく知らずにただまねただけのものが少なくないです。子供の言葉はもちろんよく聞いてあげなくてはいけませんが、非言語的に「ほんとうに伝えたかったのは何だろう」「その言葉の中にある気持ちはなんなんだろう」と、いつも意識している必要があると思っています。

ですから我が家では、そういった一方通行のやり取りを聞くと、子供の行動の良しあしをいう前にまず夫を注意します(笑)

言葉は目に見えない感情や考えを、誰もがわかる形で表現できる人類の画期的発明です。言葉によってお互いを知り、共感し、交流ができるようになった。その恩恵ははかりしれません。それでも、目に見えないものの全てを表しているわけではない。

私は言葉というものが好きで、つい言葉のもつ力に過剰な信頼を寄せてしまうところがあります。言葉をよりぴたっと使うことにこだわりを感じてしまうんです。ですから自戒の意味も込めて^^;

言葉は便利で万能のように感じるけれど、生きて変動しつづける人や世界の、ほんの一部を切り取ることしかできていないということを忘れてはいけないと思います。

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