予測できない災難にどう立ち向かう?身体感覚をとり戻そう

市の子宮けい癌検診を受けるため、久しぶりに産婦人科クリニックを訪ねたときのこと。

最近の産婦人科はきれいでおしゃれな内装、落ちついた音楽が流れるゆったりした空間になっています。女性がリラックスして待てるよう配慮された待合室は、ちょっとしたカフェの様です。

お腹がふっくらした妊婦さんたちを見ていると、自然と娘たちがお腹にいたころを思い出しました。体はしんどかったけど、1人じゃないという感覚は心をいつも満たしてくれたものです。今は誰もいないお腹がすうすうするような気がして、何だかさみしいような気持ち。

妊婦さんに混じって、退院手続き待ちなのか、生まれたばかりの小さな新生児ちゃんを抱っこしたお父さんがいました。

「小さいなあ~かわいいなあ~」と思ってついつい目が行ってしまうのですが、そのたび抱っこしてるお父さんとぱっと目が合ってしまい、ちょっと恥ずかしいような気分になりました。

でもきっと、赤ちゃんのお父さんとしては、見知らぬ女性が生まれた我が子を見てくることを必ずしも好意的にとらえてはいなかっただろうな。

折しも今月、新潟で小学生が亡くなった事件がおきたばかりです。

赤ちゃんが生まれ、初めて父親になったであろうそのお父さんは、「我が子を守る」という意識を張り巡らせていて、隣からちょろちょろ見てくる私の視線にもすぐに反応できたのかもしれません。帰宅してからそのことに思い当たり、ちょっと反省しました。

娘の通う小学校でも、新潟の事件以降は複数人で登下校するよう話があったそうです。

先日も学校からの配信メールで、児童が年輩の人に「お金をあげるから荷物をもってほしい」と声かけされた事案についての連絡がありました。

こんな時代ですから、他意があるかないかを見極めることはとても大切なことです。それでも、思ってしまうんです。

その人は本当に荷物が重くて、通りかかった子供たちにお願いしようとしただけだったのかもしれない。お願いするのも悪いから、おこづかいでもあげようと思っただけなのかもしれない。誤解されたことに気づいて、今頃うちで反省してるのかもしれない。私のように。

地域の人全体で子供を見守っていた古き良き時代を懐かしんでも仕方ないですが、誰を見てもとりあえず警戒しなくてはならないのは寂しいことですね。

子供たちは生命力にあふれていて、かわいいです。見ているだけで元気をもらえるし、うれしい気持ちになります。大人よりも気の量が多いので、惹きつける力が強いのです。

そのあふれる魅力に惹きつけられるのは、よい大人ばかりじゃないのが残念ですが…

こどもを狙った卑劣な事件は後を絶たず、私も2人の娘を育てる身として日々心配がつきません。

こういった事件があるたびに「不審者情報をもっと詳細に開示すべき」とか、「こどもが一人にならないようにしよう」といった話が持ち上がります。確かにルールを厳しくしていけば、リスクは減らせるでしょう。その分、プライバシーも減ってしまいます。ルールを作るということは、自由であることを規制することに他ならないのです。

そもそも世論を見ていて感じるのが、ゼロリスクを求めすぎてはいないか?ということです。

バーサはこの世界で生きている以上、生命の危険にさらされることはある程度覚悟すべきことだと思っています。狂人におそわれるのも、危険運転の車がつっこんでくるのも、珍しいウイルスに罹患して病気になることも、一定の割合でわが身にも起こりうることだといつも意識しています。大切な家族であろうと例外ではないのです。

これらは防ぐ手だてがないように感じます。だから皆ルールでしばって規制することしか考えられなくなっています。降りかかる災難から逃れるすべは本当に何もないのでしょうか?

バーサはそうは思っていません。ふいに降りかかった災難に対しても、とっさに反応できる人というのがいるからです。

野口整体の道場では、活元運動と呼ばれる無意識の動作を修練しているそうです。私もやってみたことがありますが、無意識といいつつ意識が入り込んだ動きになってしまい、見た目よりは難しいものです。これを修練する理由は、「体の感覚に、体の動きをゆだねる」ことで、「体にとって最も最適な状態を自分自身が作り出せる」ことにあるようです。

野口晴哉氏の著書には、活元運動をやっている人のカンのよさや体さばきの機敏さにふれた記述がたくさんでてきます。

印象的だったエピソードがあります。子供と自転車で二人乗りしていた人が事故にあったとき、後ろに乗っていた子供は衝突前にひょいと自転車から下りて無傷だったのに対し、運転手の本人はそのままぶつかりケガをした、という話です。この子も整体協会の会員で活元運動をしていたそうです。

事故にあうときは、その直前に様々な兆候があるものです。いつもと違う空気、匂い、視線や気配だってあるでしょう。そんな無意識で感じ取っている細部の違和感を、意識にあげる訓練をする。それが整体のめざしたものだったのでしょう。野口氏は本当に人間の体について深く理解していたのだなあと敬服します。

大人は自分が認識しているものが世界の全てだと思っている人が圧倒的に多いですが、子供たちはまだ感覚が豊かで、意識化されていない無意識に従うことに抵抗がありません。こどもが「なんとなくいやだ」というときは、理屈でなく何かよくない兆候を感じていると考えましょう。

バーサも体の声に耳を澄ませて、体を意識化していくということを日々鍛錬しています。大人だって時間をかければ、研ぎ澄ませることはできるんです。

大人が頭で考え理屈をこねくり回して作った規制よりも、子供たちが「今、気になること」にすぐ対応することの方が、実際には効果がでやすいと考えます。

新潟の亡くなった女の子も、事件当日「知らない人に追いかけられた」と話していたそうですね…こういった「今、気になったこと」をすぐ拾い上げて対応できるシステムがもしできていたら、と思うと残念でなりません。

理屈ばかりが先行する世の中になって久しいですが、数十年前まで日本人は世界的に見ても感覚が鋭い民族だったはずです。

もっと体の声を大事にできる社会になっていったら、そこに生きる人間の体はもっと健康に快適に暮らせるようになるのではないかと、バーサは思います。

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