声にならない

昨日から、声が出ません。

先月から子供たちが順番に体調を崩していて、ついにバーサにも回ってきたようです。

うつし合って家族の中で病気が長引くのはよくあること。ところが不思議なことに、子供たちも私もそれぞれ症状が違っています。

家族間で感染したのなら、同一の細菌やウイルスであるはず。それぞれに感染部位が違っているのはなぜなのか?

それは症状が強く出ている所が、元々気の流れが悪くなって弱い細胞になっていたところだから。そしてその部位は当然、人によって違っています。

上の娘は胃腸からきました。冷たい飲食物で、腸を冷やして弱っていたのでしょう。

下の娘は鼻炎と気管支。緊張が強い子なので、ストレスが続いて呼吸が浅くなっていたようです。

バーサは、のど。ですが痛みもなく、ただ声が出ないだけです。そんなに喉を酷使した覚えもないので、ナゾです。

声が出ないまま1日過ごして、わかったことがあります。

一人でいるときには当然ですが何の不都合もないということ。歌ったり独り言を言ったりはできませんが、特に不自由には思いませんでした。

子供たちといるとき。「絵本を読んで」とか、「教えて」というリクエストには答えにくい。ですが感情や簡単な指示などは、身振り手振りや目線なんかでもけっこう伝わるということ。

外で知り合いに会ったとき。これが一番困ります。

お互い気づいている状態や、子供のお迎えで並んでいる時。声をかけないわけにはいきません。でも声が出ないので、話そうとしても相手に聞かれたことには答えられません。聞くだけ聞いてうなずいていても、意見を言えないというのはものすごくストレスでした。

声というものは、言葉をのせる乗り物のようなものです。言葉は、他者とのコミュニケーションのために発達した手段。その中でも、「意思」の伝達に特化したものではないかと思います。

一人でいたり、気心の知れた相手といるときには、意思を伝えあう必要性があまりないのかもしれません。言われなくてもだいたいわかっちゃうことが多いですから。

意思の確認が絶対に必要なのは、主に社会的な間柄の相手の場合でしょう。わかりあえていない部分が存在すれば、確認せざるをえないからコミュニケーションが必須になるんですね。

普段からバーサは自分の考えたことを話しています。何を考えているのか理解してほしいからです。ただ相手の言ったことを繰り返したり、場の意見に共感だけするというスタイルはとっていません。ですから声がでなくて自分の思ったことが言えないのには本当に困った。

普段気兼ねなく声を使っていると、自分が何を必要として話そうとしているのか、意識する機会があまりありません。声を奪われて初めて、自分は「他者とわかりあいたくて」話をしているんだということを実感できました。

んん?ということは、今バーサが声が出ないのって、「他者とわかりあいたい」と思いすぎてのどをくたびれさせてる、ということなのか?!

自分の体は、たいがい自分によって壊されているものですよね。それも自分の意識に上がっていないところで。

問題に気づいただけで、その問題の8割は解決していると聞きますし、バーサの声も数日内には戻ってきてくれることでしょう。

誰よりも近くて、誰よりも理解しがたい人間。自分。

身体からも、声なき声がわきあがっています。体の声を聞いて、もっとよく自分のことを知って、誰よりもまず自分を守ってあげたいですね。

バーサもバーサのことを誰よりも理解し、誰よりも優しく扱ってあげられる人になれたらいいなと思っています。

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